戦国時代、主君から絶大な信頼を受け、
上杉家の軍事、
内政の両面にわたる指導者として、
実力を発揮したことは、
よく知られています。
絶大な権力が、あったのにもかかわらず、
下のものにも、信頼されていたのは、
愛(愛染明王)の精神があったからだと言われています。
これは、家が、栄えるには、民がうるおってこそ、
国が潤うということを身を持って知っていたのだろう。
そんな兼続をたのもしくさえ思う。
関が原の合戦で、石田光成率いる西軍に、
関与したため、
会津120万石から
米沢30万石に、
移封されたことは、皆さんが知っていることで、
なぜ、西軍に加わったのだろうと疑問に思います。
兼続の身長は、推定150cm~160cmあったとのでは、
ないかと言われています。
食事に関して、ですが、、一汁一菜が基本で、
米と麦が、半々の飯に、漬物で、
一日2食、酒は、どぶろくを飲んでいたと、
言われています。
名言は、民あっての自分、国あってこその自分、
この意味は、民がうるおってこそ、国が潤うと言う意味で、
民をすごく愛していたことが、受け取れます。
ほんとうに、すごい人だと感心しています
2013-11-07 15:57
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